アドレナリンで溢れ散らかす日常にしたいなって話
台湾でご年配ウケがよかったです。
しょーりです。
久しぶりに旅行に行ったのですが、日本で大体事足りてしまうなぁという気持ちにもなりました。(アジアだからな気もしますが)
小籠包が美味しいとめちゃくちゃ有名なお店に行ったのですが、日本にあるし何なら行ったしみたいな。
世の中的にも何を体験したくて旅行に行くのか、出掛けるのかという意思決定みたいな部分ってまだまだ突き詰められていられなさそうだなと思いました。
五感から探す、みたいな検索軸とかあったら面白いなと思います。
何かを体験する時なぜ体験するのかは、つもるところ「うわ、楽しい!」みたいな期待値以上に感じたときのアドレナリンを感じる瞬間を求めに行っているのかなと。
それを考えた時に、今は仕事で、「まだ、ここにない出会い」を見つけたときの、アドレナリンがドバドバ溢れ散らかした時の感覚に、楽しみを覚えられているんだなぁという気付きを得ました。
1日でほとんどの時間を費やす仕事の中で、それを見い出せるのは幸運だなぁと思うわけです。
実際のところ毎日そのような感覚に陥ることは現在は不可能そうですが、頻度を増やせる努力はできそうです。(少なくとも旅行に行く頻度よりは)
あわよくば常に没入したい。
偶然という非日常性のあるイベントを、いかに日常性のあるイベントに変化させるかが生きるうえでのテーマな気がしています。
ではアドレナリンが溢れ散らかす仕事ってなんなんだろうと考えた時に間違いなく言えることは、創造的な仕事をするということに尽きます。
なかった価値を生み出すこと、物事の確率論から考えると無作為に組み合わせ続けることによって大体のことは勝手に最適解を見い出せますが、その手法とは並列関係に比較できない最適解を見つけられた時にアドレナリンを感じられます。
これの発生機会を増やすためには、
・仕事の質を高める(量は一定)
・仕事の量を増やす(質は一定)
・仕事の機会を変える(場所を変える)
・仕事以外で機会は生む(量質は後回し)
上記のうちのいずれかな気がしています。
そう考えると、したいことや好きなことが会社やサービスにマッチしている人はとても恵まれているのだろうなとおもいます。
よく「好きなことを仕事にすべきか」みたいな議題がよくありますが、「好きなことで仕事ができるほど恵まれたことはないだろ」と今なら断言できます。(ただしそれで生活ができるのかなど諸条件はあるが)
最近後者の方でいかに1日内での幸福度を高められるかを考えており、いくつかしたいないとぁって気持ちでは勉強なりリサーチなりをしております。
こちら、最近したいなと考えてるリストです。
一緒に遊べる方がいれば是非。
・自分の特にお気に入りの写真を並べるだけのアプリ
カメラロールには無数に写真があって、SNSには散らばったお気に入りの写真があるかと思うのですが、本当にお気に入りの写真が並んでいる状態ってかなり心穏やかになるのでそれ専用のアプリを作っています。
Pinterestの内向き版みたいなイメージです。
(ReactNativeで実装中)
・味と食感が同じであればそれはもはや本物ではないか?というフードテック
たまたま高給食材を食べてたときに、「いやこれ、素材が希少性あるだけで、なんで代替しないん?」って思いリサーチ中です。よくあるカニカマも蟹のリプレイス(最近はかなりクオリティが高くなってきてる)ですし、アワビもトコブシも穴の数以外ほぼ同じですし、なんか安く高品質を食べるのであれば組み合わせで何とかならないんかなぁと思っている次第です。
・UXデザインの事例サイト
仕事柄こういう系の知識や具体的な施策内容ってオープンにあまりないよなと感じており、且つUIレベルの模範はすぐにされるし、もはやテクノロジーやブランドの強みを活かさない施策に価値はなくなってきているのでもはや全世界的に知識が溜まっていくプラットフォームが作れたらいいなと。
なにより世の中に不便なUXが存在しているだけで社会が不幸なので、よりよくしたいなという思いが強いです。
(Ruby on Railsで実装予定)
自己防衛のための努力
パン屋で散財するのが小さな幸せです。
しょーりです。
昔から「馬鹿は相手にしない(※1)」という教育方針の元で育ったもので、そのような人と出会ってしまうと物理的に避ける人生を歩んできました。
(※1救いようのないぐらい自分勝手で自分ではどうしようもない関わるだけで害を与えてくるような相手のこと)
関わらなければ害を受けることもないので、「嗚呼、駄目だわ」と思ったら関わらないことに対して努力を行ってきました。(繊細なので余計なことでメンタルを擦り減らしたくないため)
そのような生き方をしていると割と「そんな人ともうまくやれるコミュニケーションを身につけた方がいいよ」とか「その努力するならもっと他のことに時間避けばいいのに」とか言われるわけです。
そういうことを言われるたびに「なんで被害者が加害者のためにわざわざ努力しなきゃいけないのだろう?」と少々ムッとすることもありましたが、いい歳になってきたので熟考してみることにしてみました。
世の中には、「誰からも感じがいい」と思われる人がいて、その人たちは「敵をそもそも作らないコミュニケーション」ができています。
小3!かわいい☺️
— 前田 裕二 / Yuji Maeda (@UGMD) 2019年2月10日
めちゃくちゃ応援してる!頑張って💪 https://t.co/5mNnv3d77F
その一方で「一部には感じが悪い」と思われる人がいて、その人たちは「敵を叩き潰すコミュニケーション」ができています。
絶対するなボケ https://t.co/6vavE187Dr
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2019年2月11日
どちらも一貫して自身の意見(正論)で相手に接しているのですが、立場によって活用の可否が分かれるんだろうなと思います。
後者は通じる相手と通じない相手がいるからです。
建設的な議論を行おうとしても、自分が正しいと信じきっていてこちらを全面否定してくるタイプ(ex.精神的に未熟)が当てはまります。
そういうタイプはこじれた時に何を言っても変わらないので、役職の上下がはっきりしているなど立場を示す分かりやすい指標がないとコミュニケーションが成り立たないのではないかと思います。
徹底的に叩き潰せばいいのですが、叩き潰すのにも余計なカロリーを消費してしまいますし、そのような相手にわざわざカロリーを浪費するのも勿体ないなと思うわけです。
だから相手にしなければいいじゃんというのが冒頭に掲げた自論なのですが、相手にしないという選択肢を取ったにも関わらず強制的に関わる必要がある時に不愉快さが爆発しそうになるわけで。
「あ、なるほど。じゃあそもそも論の部分で、不愉快な相手を作らなければいいじゃん」と前者の「敵をそもそも作らないコミュニケーション」に回帰できるわけです。
これなら腹落ちして
「そんな人ともうまくやれるコミュニケーションを身につけた方がいいよ」とか「その努力するならもっと他のことに時間避けばいいのに」
を納得して実践できそうです。
くしくも生まれてしまった不愉快な感情への対処療法よりも、生まないための予防療法に努力を割いたほうが合理的です。
そもそも自分がそのようなレベルの人とコミュニケーションを取らないといけないレベルの人間であることは事実なので、そこは猛省してもっと頑張らないといけないなと思うわけです。
最近久しぶりにジョジョ4部を見ているのですが、まぁ最適なシーンが出てきました。
勝てるけどそもそも争わない、争う相手を見誤らないこれ大事。
心おだやかに生きたい。
抽象度の高い中での議論がなければ提供価値はしぼむ
いい椅子が欲しい。
しょーりです。
普段の作業椅子がしっくりこなく、腰痛が加速する日々でございます。
硬めのしっかりした椅子が欲しい。
季節が変わり、担当プロダクトも変わったそんな今日この頃(割と前から)ですが、自分の仕事が何をすることなのかの定義は、自分でしっかり持っていた方がいいなと思いました。
新しくする仕事はだいたい「◯◯を××してね」と一言で任されるものが多いです。
これはKPIを達成する端的な単位で構成されます。
例えば「CVRをあげてね」とか「UUを増やしてね」とか、「hogeというサービスの」といった接頭語は違えど、だいたい似たような感じで降ってきます。
勿論、これを順当に守って仕事をすることで価値を提供することはできますが、「これ何のためだっけ」とか「なぜこうなったんだっけ」とか、背景を知りえないことには想定の範疇からしか価値を創出できないよなぁと思います。
CVRをあげたい→だから画面にアクションボタンを増やす→その結果アクションが伸びてCVRが改善される
こういう事象は分かりやすくそりゃあそうなるよねって話なのですが、この事象自体が実は最適な行為だったのかは、より上流の、より抽象度の高い段階で議論されていたのかによると思います。
「KPIだから正しい!」っていうのは思考停止で、KPIが正しい理由がなぜなのかが議論されていたのかを、確認することが大事です。
webの仕事だからweb予約数を増やしたい→これ本当?
この場合だと最終的に、web予約からリアルでの接客を通して契約するというフローがあり、本当にしたいことは「契約」です。
であれば、webでの予約は契約をするための手段でしかありません。
ではその手段はwebからは予約フォームからの予約だけなのかで言うと、それ以外もあります。
過去に契約した人からの紹介や、電話で予約、そもそもリアルで行う必要があるのかなど、選択肢は割とたくさん出てきます。
惰性でKPIだけを見てしまうと、これらの選択肢を見失ってしまいます。
ユーザーによっては取りこぼしも発生してしまいます。
(リソースを集中させるために切るのは問題ない)
サービスのフェーズや市場環境によって何が最適な解決策かは見直した方が良さそうですよね、っていうそんな話でした。
ついつい言っちゃう「会社を3年で辞める」というセリフについて
春ですね。(暴風雨に家を揺らされながら)
しょーりです。
社会人暦が2年目に突入し、やることも色々増える日々でございます。
入社当初に想像していた今の自分とギャップがあるかで言うと、あるはあるなぁと思うわけです。
まぁそもそも当時の自分が、来年どういう風に何をしているかをイメージできていなかっただけではありますが。(ざっくり何かしらのプロダクトオーナーをやりたいなぁ、自分で責任を取って裁量権のある仕事をしたいなぁぐらい)
半ば近しいことは出来始めてはいるものの、やってみないと見え始めない具体が遥かに多いのが現状です。
僕も少し前まではタイトルにもあるように「3年で辞めるぜ!」派でした。
そんな考えなので、何だかんだ何年も残っている先輩を見て、「なぜまだ辞めないんだ?」と疑問を余儀なくされていました。
ですが最近何となく分かってきたことがあって、3年目から脂がのり始めて美味しい経験が満載になるので、それ以上に強い意志がなければわざわざ辞める必要が生まれないということです。
勿論、これは僕がまだ経験できていない将来の話で、あくまで推測でしかなく、全員に脂が乗ることはありえない、且つそれほど強い意志を持たずに言っている人もいる前提ですが、割とありそうな推測でございます。
そして、3年目のそのタイミングにならなきゃ辞めているかは分からんなぁ、というのが本ブログのオチでございます。
1年目というのは課題の難易度は別として、「こいつはちゃんとできるのか」「任せても大丈夫なのか」という意思決定をするべく、上司が見守ってくれているお試し期間だと思います。
そして2年目になって、合格であれば一人立ちを促進してくれ、今まで上司がせき止めてくれていた様々な負担が一気に増えるものの、自分の意思で動けるようになるテスト期間になります。
この2年目の終わりのタイミングまでにちゃんと結果を出していると、翌年からが最高になるわけですね。
3年目は2年分の実績を元に自身の評価が形成され、それに伴って面白いプロジェクトへのアサインが決定しそうです。面白いプロジェクトとは難易度の高い失敗できないもので、結果を出せる信頼のできる人に任せなきゃいけない、そのような人にしか任せられないものです。
自身の経験と、会社からすると末端の僕とその真逆の立場に位置する方と話をする機会を元に推測した上記の仮説ですが、その方の話が面白かった。
「この役職になると何でもできる機会はあるけど、それを実行することのできる人間がなかなかいない。」
上にいけばいくほど面白い案件が溢れかえるものの、任せられる人間がいないんですね。
組織とはピラミッド式と言われますが、中間職のボリュームをいかに増やすかが鍵だなぁと思いました。(当たり前)
そこの歩み寄りってやっぱり難しくて、ボトムアップでの歩み寄りとトップダウンでの歩み寄りはアプローチが異なるだけではなく、難易度も変わるからです。
なんかこの辺りは普通に仕組み化できそうだなぁとは思いますが。
話を戻すと、上層部が「やらなければいけないこと・やりたいこと」が無数にある中で、それをこなせる人間が足りていなさすぎるのがどこの職場でも課題なので、「ちゃんとそれができる」という人間にはそりゃあチャンスが降ってくるわけです。
ちなみにでいうと、僕は2年目になる間近に「これぐらいが任せてもらいたい」という要望はあって、それが満たせていなければ割とパワーの割き方を考える予定でした。(例えば副業や創作活動に勤しむなど)
勿論、僕も会社の事業課題ではなく、自身の解決したい課題について考えてはいて、それが解決できる見込みがあれば、今すぐにでも今の会社を辞めるんだろうなぁと思います。
ただそれは一旦置いておき、社内での自分の仕事を考えた時に、2年目の始まりですら既に3年目の自分のしているであろう仕事が楽しみなので、もっと頑張ろうと思えるわけです。
実力主義社会では、結果を出せばいいだけなんですから。
会社と合わなくて辞めるは仕方がないとして、ただの努力不足で結果を出せずにネガティブ要因で辞めるのは何だかなぁと思います。
ポジティブ風(実はこっちがしたかったんです!)を演じつつも認知的不協和で辞める人もチラホラいますが、まぁなんというかもう察するものがありますね。
割と肌感でいうと「3年で辞める!」というタイプの人はそういう人が多いです。
そういう人に限って「元◯◯」とか「××立ち上げ」とプロフィール欄に書きがちですけど、生齧りしかしていないのに何がわかったんだろうなぁと不思議な気持ちでいっぱいです。
ケツを決めるのは否定しませんが、何となくで言うのはあまりにも色々と本質的ではなさすぎるなぁと思いましたとさ。
何かしらの習慣は自身の体調に気づく指標になるなという話
家に帰ると、洗濯物が風に吹き飛ばされていました。
しょーりです。
無意識下にではなく、有意識下で習慣をつけています。
例えば読書だったり、早起きだったり、元々は苦手だったことを意図的に継続しています。
それでふと気付いたのですが、意図的に継続する意思のあることが、できていない状態って異常なことじゃないかと。
なぜなら唐突に苦手なことをするのではなく、苦手でも強い意志を持ってそれなりに継続していることなので、わざわざやめることはほぼありえないからです。
ということで最近早起きできずに、ナチュラルに寝坊したことの原因はなんだったんだろうと考えてみたわけでございます。
そもそも起きる気は十二分にあったわけで、起きられる準備は毎日しているわけです。
起きたい1時間前からジャブのようなアラームをかけつつ、本気で起きたいタイミングで5分おきにアラームをかける。
しかもスマホ2台体制で、片方はマナーモードで震わせる。
寒いと起きれないので、少し体を動かすと自動検知で作動するヒーターも設置できていた。
寝ぼけながらも電気をつけられるように、電気のリモコンも枕元に。
なので基本的には問題なく、じゃあ心身の何かが悪かったのか。
前日にお酒を飲んでいたわけでもなく、夜更かしをしていたわけでもなく。
となると気付かぬところで謎の疲労が溜まっていたのか、よくよく考えるとそんな気もしました。
そう言えば過去にもやたらと考え事をした時に、翌日爆睡してしまったことがあります。
つまり、ある一定以上の考え事をして脳みそを酷使すると、自覚しにくい謎の疲労が溜まっているんだなぁとそんな気がします。
あ、普段の仕事はこういう感じのことをやっています。
読書もそうだなと思います。
苦手なりに興味があるから読んでいるのですが、頭に入らず何度も何度も同じページを読むことが多々あります。
最近は耳から別の情報をインプットしながら、目だけで読むみたいなことをしているから余計に集中力がないと、両方が無駄になります。
これ、めちゃくちゃ疲れるのですが、シンプルに情報獲得効率が向上するのでオススメです。
それはさておき、本を読めない時も、寝てしまう時は寝不足だなぁと思えます。
音を遮断していても読めない時は疲れてるなぁ、何か疲れるようなことしたっけと思い返すとパターンが見えてきます。
まぁ基本何かしらを考えすぎることしかないんですけど。
いやほんと、もっと同時に何かしても、難しいことを考えても疲労しないように、脳みその耐久性を上げないといけないと思いました。
学生から新社会人UXデザイナーへの変化と早くも年末ですね
年末ですね、今やたら汗かいてます。
しょーりです。
新卒で入社した会社も、早くも仕事納めで冬休みになりました。(冬休みという表現であってるのかはさておき)
環境がめまぐるしく変わるなんて表現を扱うには大袈裟すぎますが、それなりに変化があったなぁなんて思うわけです。
そうそう、前にアンケートをとった結果をやっとこさ書こう、そんな気分です。
久しぶりにブログ書こうと思うが興味ある内容があれば
— しょーりさん (@mrshoritv) 2017年12月1日
自分で書いときながらざっくりしとんなという「今の会社について」ですが、フォロワー的に同時期に社会人になった人やスタートアップ界隈、来年から社会人になる後輩が多いのかなぁと思います。
なので項目的にも以下の感じで書いていきます。
1.What:どんな会社で何をしているの?
2.How:どのようにしているの?
3.社会人になって変化
他にも知りたいことがあったらいつでも連絡くださいませ。
では早速いきましょう。
1.What:どんな会社で何をしているの?
これ、社名出すのあんまりよくない気がせんでもないので濁らせますが、◯◯されたら××というキャッチコピーで有名な某サービスの会社で、UXデザイナーとして働いております。
この穴埋め面白いですね。
右ほほを打たれたら左ほほも出しなさい(聖書かよ)
やられたらやり返せ、倍返しだ(リーガルハイかよ)
果てしなく話がそれましたね。
はい、UXデザイナーやってます。
何ですかそれ?って感じですよね。
一般的な解釈で説明すると、UX(User Experience)に集約するのですが、UX自体は顧客体験を指す用語です。
その場面によって顧客の体験をスムーズにしたり、感情を芽生えさせたり、とまぁ広義で抽象的な捉え方ができます。
ちなみに僕は「取りたかった行動を自然に取れている状態にする」という解釈をしています。
まだ、ここにない出会いを。ですね。
おっと。
部署や担当プロダクトにもよりますが、僕の配属されている部署は他部署よりも、優しい環境だなぁと思うことが多々あります。
色んな意味で優しく、体育会系ノリで詰められることもなく、心理的安全をとても感じます。
求めると色々やらしてもらうこともできますし、求めなくても勝手にやることもできます。
ただし、自分の担当はしっかりこなしている前提です。
割と飛び級とかあるんでしょ?ってイメージの弊社ですが、それは目の前のことをちゃんとやっているからだなぁと先輩方の動きを見て思います。
目の前のことをちゃんとやる→信頼してもらえる→次に大きな案件を任せてもらえる
この繰り返しです。
まぁ、社外の人に聞くとあまりない環境らしいので、若手の裁量権はほんまにあるんだなぁとこの辺で実感します。(このサイズ感の会社にしてはという前提)
2.How:どのようにしているの?
案件を担当するという場面において大きく「これやってね」と「これやりたい」が混在しており、配属当時(入社当初)は前者がほぼですが、下期に入った今では後者の割合もだいぶ増えてきました。
強い組織は株分けが早いなと思っていて、任せられる業務なら他者に任せて、各自を持ち案件に専念させている気がします。
やることを絞ることで各自の生産性の量と質を向上させて、結果的に組織としての生産性を最大化できています。
これは部分最適からの全体最適ですが、マネジメントコストが下がる分、密な連携が取れていないといけないなぁと思う今日この頃です。
案件に着手するという場面では、定量的にデータや定性的に人とも向き合っています。UXデザイナーには横断的に様々なスキルが必要です。
各自の選り好みがあるので社内にも「カスタマーインタビュー」「ビッグデータ」「カスタマージャーニーマップ」など様々なhowを用いる人がいます。
手法によって案件の登り方が異なるので、他人の案件を見るだけでも勉強になる職場です。
僕のやり方は、ざっと実際に触ってみて、なんか使いにくいな、と定性的に感じた部分をなぜ使いにくいかをメモしつつ洗い出します。
その後、特に大きな課題はどこで、本質的に何が悪いのか、ターゲットは誰なのか深掘っていきます。
そしてその画面の中での理想のユーザー体験(提供価値)とは何かを打ち出し、それに対応する具体的な解決策(how)を洗い出します。
ここは実はリーンキャンバスの思想を取り入れているのですが、個人的にはしっくりきているのでオススメです。
はじめにちゃんと見立てないと無駄なデータにまみれてしまったりと、時間を大きく食ってしまうのでここはしっかり決め切りたいところです。
そして見立てた上で、インタビューだったり、データと向き合ったりと、固めていきます。
そしてワイヤーフレームを作成して、絵に落とします。
ここでの絵はクオリティが高ければ高いほど良い、と僕は思っているので時間かけすぎない程度に割とちゃんと作っています。(勿論、後で要件をしっかり書き出してデザイナーに渡すのであれば全く問題ない)
ちなみに作ったワイヤーフレームは自分のスマホで確認するので、この段階で違和感の種類を減らしておきたいからクオリティを高めています。
違和感が「デザインが汚いからなのか」と「思想を満たせていないからなのか」は大きく意味が異なるからです。
とまぁざっくり話すとこんな感じになります。
3.社会人になって変化
まぁお金っすよね。
ただ座っているだけ(んなことするわけないが)でも当たり前に給料が支払われている環境ってやはり雇われる身の楽さにドン引いてしまいます。
ボーナスによって突然増える口座は麻薬的でいけないなぁと本気で思いました。
使うは使ったんですけどね。
これはいけない。
学生時代で極貧だった頃は喉が多少渇いただけでは口にすらしなかった水分を、今では当たり前にカフェなりなんなりで潤しにかかってしまっています。
我慢していた服だったり物への消費も多くなりました。
身分相応の消費は必要だと思いつつも、抑えようとブログを書きながら思う次第です。
あ、後輩はいつでもご飯をたかりに来てください。おごります。
冗談はこれぐらいにして、社会人になっての変化で個人的に一番大きいのは「無駄なことがかなりなくなった」という部分ですね。
学生時代はどこに注力するといいのかが分からないが故に、多方面に手を伸ばしがちです。
注力したとしてそこから何に優先順位をつけて実行したらいいのかも甘く、無駄な行動がやたら多いです。
結果、時間だけがただただ過ぎて、精神をすり減らして、嫌いな人も増えて。。
はい。
いやまぁ雇用されると「その会社にとって有益なこと」をするとよい、実にシンプルなことだけを考えるといいんですね。
何事も「集中と選択」が大事でして、やることがを絞れば絞るほどにスキルアップも早いです。
現に入社当初と比較すると、案件の対応スピードもだいぶ上がったんじゃないかなと思います。
そして抜け漏れていた観点を網羅できるようになったり、取り入れなきゃいけない思想に気付けたりと、振り返ると能力値の向上を感じます。
昔は失敗したことも今だったらこうするなぁ(ってかそもそもする必要ないな)と思えているので成長しているんじゃないでしょうか。
「集中と選択」は大事。
来年からはブログの更新頻度をもう少し上げよう。
人の道から外れたら、獣の道で遭難しかけた。
生きてます。
しょーりです。
さっきまで普通に山で遭難しかけていました。
人生って面白いですね。
どうしてそんなことになったかと言う話なんですけども、ここ最近、鬱々としていたんですね。
「あれ?ちゃんと生きられてないな?」
定期的にそう感じ、生を実感するために自然を通して自分と向き合う習慣が僕にはあります。
思い立てばすぐ行動。
ちょっくら自然に囲まれるために山へ。
一駅手前で降りるなどしつつも到着。
登ろうと思った山が違う山だったなどしつつも登山開始。
一人になりたかったので、人がいない道を選択。
普通に上級者コース。
装備品はスニーカー、フクロウのリュック、タオル、カメラ、携帯二台。
…。
登り始めました。
思考が始まります。
何が心を乱しているんだろう。
心や感情が散らかっていたからでした。
人は何か強烈に心が動いたときに、それに引っ張られてしまうようです。
不味い物を美味しく食べていたけれど、ちゃんと美味しい物を食べたときに、美味しい物に囚われてしまいその前まで美味しく食べていたものから魅力が消える。
微かな期待を大きく裏切られたとき、異常な触れ幅に心が疲弊する。
そういう類のものです。
経験値は上書き保存のようでして。
枠から飛び抜けてしまった感情を、綺麗に整理し直すと、乱れた心も元に戻りました。
死ぬのに何のために生きるんだっけ。
考えては病むテーマです。
自分の知的好奇心を喜ばせ続けたい。
自身の感性を通して、体験に価値を見出していたい。
登山道の横に生えている、見向きもされないキノコ一つに、一喜出来る感覚はこれからも失わないようにしていきたい。
キノコも人に見られるために生えてはいない。
エゴでいいと思う。
それをすることに邪魔をされない環境、誰かの持つ面白い感性を殺させない環境。
それをつくらないといけないなと思った。
それによって誰かが救われる一方で、それによって自分が楽しく生きられる。
いいエゴだと思う。
夕方になり、一気に暗くなり始める。
アナグマが目の前を横切る。
イノシシが目の前を横切る。
凄いな、上級者コース。
そして登頂、時既に暗し。
60円も高い自販機を横目に、下山を開始。
同じ道で帰る気はなく、何なら初級者コースでゆったり帰ろうと思っていました。
暗いし、危ないし。
始まる下山に、同じタイミングで降りる人が。
駄目だ、駄目なんだ。
どうしてあなたたちも同じコースで下りるんだ。
気付けば、下りている別の上級者コース。
そして日は沈み。
誰もいなくなった。
山で遭難とかありえないっしょ。
そう考えていた頃が僕にもありました。
そんな僕も今では遭難しています。
なんて冗談が言えなくなるくらい、真っ暗な山道。
スーパー軽装備、これからスーパーに行くのかなみたいな格好です。
まず灯りがない。
そこで何よりも役立ったのがiPhone。
人は灯りがないと不安になるというのは、こういうことねと思いました。
不安というのは心理的なのもありますが、シンプルに足下が見えていない恐怖感がえげつなかったんですね。
上級者コースって何が上級者かって道が整備されていないの一言に尽きるんですね。
道幅が60センチのとこだったり、訳の分からない凹凸だったりと。
明るいうちは「わぁ自然だぁ」なんて呑気なことを思っていましたが暗闇の中ではそんな余裕は皆無。
踏み外したら死ぬ!という思いのみで一歩一歩下りていきます。
夜道の恐怖とは違う感覚。
ありえん早さで横切ったイノシシが、脳裏を横切ります。
あいつ、初速から早かったぞ。
突進したらジャンプするしかないんか?
余計な恐怖が襲います。
そしてついには、「下山できなかったらどうしよう」と駄目な方向へ。
「遭難していたIT会社勤務の会社員、無事に救出。」
そもそも今働いている会社がIT会社でいいのかとか、こんなフクロウのリュック軽装備野郎が救助されたら叩かれまくるやん、と気が気じゃなくなります。
分かっていても外れてしまう自分を少し恨みつつも、けどこういう人って一定数はいるんだろうなと思いつつ。
「嗚呼、自分の役割はこういうことか。」と、腹落ちします。
どうせ道を外れるんだから、その道を整備してあげよう。
灯りをつけて、不安をなくしてあげよう。
そして同じような人が楽しめる道にしてあげよう。
だったら楽しいじゃん。
意図して外れた人も、意図せず外れた人も楽しめるじゃん。
と、思ったわけです。
そんなこんなでよく分からないテンションで下りていくと、麓の灯りが見えてきます。
頑張って生きよう。
そう改めて決心し無事に下山に成功。
行き道に見たロープウェイを発見。
「帰ってこれた」と一人すがすがしい気持ちと共に炭酸水で一服。
そんな一時の中で、目の前を若いカップルが軽装備のまま山の方へ通りすぎていきます。
「おいおいそんな軽装備だと遭難するぜ?」と笑いながら視線を見送りましたが、思わず二度見。
ロープウェイに笑いながら乗っていきました。
こんな時間にも動いているんですね。
下調べって大事だね。