何かしらの習慣は自身の体調に気づく指標になるなという話

家に帰ると、洗濯物が風に吹き飛ばされていました。

しょーりです。

 

無意識下にではなく、有意識下で習慣をつけています。

 

例えば読書だったり、早起きだったり、元々は苦手だったことを意図的に継続しています。

 

それでふと気付いたのですが、意図的に継続する意思のあることが、できていない状態って異常なことじゃないかと。

 

なぜなら唐突に苦手なことをするのではなく、苦手でも強い意志を持ってそれなりに継続していることなので、わざわざやめることはほぼありえないからです。

 

ということで最近早起きできずに、ナチュラルに寝坊したことの原因はなんだったんだろうと考えてみたわけでございます。

 

そもそも起きる気は十二分にあったわけで、起きられる準備は毎日しているわけです。

 

起きたい1時間前からジャブのようなアラームをかけつつ、本気で起きたいタイミングで5分おきにアラームをかける。

しかもスマホ2台体制で、片方はマナーモードで震わせる。

寒いと起きれないので、少し体を動かすと自動検知で作動するヒーターも設置できていた。

寝ぼけながらも電気をつけられるように、電気のリモコンも枕元に。

 

なので基本的には問題なく、じゃあ心身の何かが悪かったのか。

前日にお酒を飲んでいたわけでもなく、夜更かしをしていたわけでもなく。

 

となると気付かぬところで謎の疲労が溜まっていたのか、よくよく考えるとそんな気もしました。

 

そう言えば過去にもやたらと考え事をした時に、翌日爆睡してしまったことがあります。

 

つまり、ある一定以上の考え事をして脳みそを酷使すると、自覚しにくい謎の疲労が溜まっているんだなぁとそんな気がします。

 

あ、普段の仕事はこういう感じのことをやっています。

 

読書もそうだなと思います。

 

苦手なりに興味があるから読んでいるのですが、頭に入らず何度も何度も同じページを読むことが多々あります。

 

最近は耳から別の情報をインプットしながら、目だけで読むみたいなことをしているから余計に集中力がないと、両方が無駄になります。

 

これ、めちゃくちゃ疲れるのですが、シンプルに情報獲得効率が向上するのでオススメです。

 

それはさておき、本を読めない時も、寝てしまう時は寝不足だなぁと思えます。

 

音を遮断していても読めない時は疲れてるなぁ、何か疲れるようなことしたっけと思い返すとパターンが見えてきます。

 

まぁ基本何かしらを考えすぎることしかないんですけど。

 

いやほんと、もっと同時に何かしても、難しいことを考えても疲労しないように、脳みその耐久性を上げないといけないと思いました。