自己防衛のための努力
パン屋で散財するのが小さな幸せです。
しょーりです。
昔から「馬鹿は相手にしない(※1)」という教育方針の元で育ったもので、そのような人と出会ってしまうと物理的に避ける人生を歩んできました。
(※1救いようのないぐらい自分勝手で自分ではどうしようもない関わるだけで害を与えてくるような相手のこと)
関わらなければ害を受けることもないので、「嗚呼、駄目だわ」と思ったら関わらないことに対して努力を行ってきました。(繊細なので余計なことでメンタルを擦り減らしたくないため)
そのような生き方をしていると割と「そんな人ともうまくやれるコミュニケーションを身につけた方がいいよ」とか「その努力するならもっと他のことに時間避けばいいのに」とか言われるわけです。
そういうことを言われるたびに「なんで被害者が加害者のためにわざわざ努力しなきゃいけないのだろう?」と少々ムッとすることもありましたが、いい歳になってきたので熟考してみることにしてみました。
世の中には、「誰からも感じがいい」と思われる人がいて、その人たちは「敵をそもそも作らないコミュニケーション」ができています。
小3!かわいい☺️
— 前田 裕二 / Yuji Maeda (@UGMD) 2019年2月10日
めちゃくちゃ応援してる!頑張って💪 https://t.co/5mNnv3d77F
その一方で「一部には感じが悪い」と思われる人がいて、その人たちは「敵を叩き潰すコミュニケーション」ができています。
絶対するなボケ https://t.co/6vavE187Dr
— 堀江貴文(Takafumi Horie) (@takapon_jp) 2019年2月11日
どちらも一貫して自身の意見(正論)で相手に接しているのですが、立場によって活用の可否が分かれるんだろうなと思います。
後者は通じる相手と通じない相手がいるからです。
建設的な議論を行おうとしても、自分が正しいと信じきっていてこちらを全面否定してくるタイプ(ex.精神的に未熟)が当てはまります。
そういうタイプはこじれた時に何を言っても変わらないので、役職の上下がはっきりしているなど立場を示す分かりやすい指標がないとコミュニケーションが成り立たないのではないかと思います。
徹底的に叩き潰せばいいのですが、叩き潰すのにも余計なカロリーを消費してしまいますし、そのような相手にわざわざカロリーを浪費するのも勿体ないなと思うわけです。
だから相手にしなければいいじゃんというのが冒頭に掲げた自論なのですが、相手にしないという選択肢を取ったにも関わらず強制的に関わる必要がある時に不愉快さが爆発しそうになるわけで。
「あ、なるほど。じゃあそもそも論の部分で、不愉快な相手を作らなければいいじゃん」と前者の「敵をそもそも作らないコミュニケーション」に回帰できるわけです。
これなら腹落ちして
「そんな人ともうまくやれるコミュニケーションを身につけた方がいいよ」とか「その努力するならもっと他のことに時間避けばいいのに」
を納得して実践できそうです。
くしくも生まれてしまった不愉快な感情への対処療法よりも、生まないための予防療法に努力を割いたほうが合理的です。
そもそも自分がそのようなレベルの人とコミュニケーションを取らないといけないレベルの人間であることは事実なので、そこは猛省してもっと頑張らないといけないなと思うわけです。
最近久しぶりにジョジョ4部を見ているのですが、まぁ最適なシーンが出てきました。
勝てるけどそもそも争わない、争う相手を見誤らないこれ大事。
心おだやかに生きたい。